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2007.02.01     カテゴリ:  奈良帰省日記 

   Intermission  奈良・春日大社での結婚式

Intermission  奈良春日大社での結婚式
奈良時代の藤原氏の氏神をまつる神社です。藤原氏の氏寺は興福寺。

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2001年1月28日撮影

2007.02.02     カテゴリ:  思うままに 

   トミーズ事件について

漫才コンビ「トミーズ」海南島事件
漫才コンビ「トミーズ」謝罪 中国での尻出しは法律違反―海南省三亜市

ぱーたいさんのブログに掲載され初めて知りました。ちょっと激怒。(言い方がおかしい・・)
ABCのトミーズのホームページにメールを送りました。

内容は
私は奈良生まれ。インターネットのおかげで中国深センにいながら近畿の言葉を思う存分楽しんでおります。
貴番組も私の愛聴番組の一つ、毎週楽しませていただき感謝しております。
初めてお便りさせていただきます。

こちらの新聞にも大きく取り上げられています、1月27日海南島三亜での事件、複数のニュースでほぼ同じであることから真実だと思いますが、どうなのでしょうか?

香港、中国などでも日本製品の良さは群を抜いており、そして会社もそれなりの信用を持って迎えられております。これらは先陣の日本人が筆舌に尽くしがたい苦労をされて築き上げられてきたものと感謝しながらその恩恵を受け、これらの信用を落とすまいと日夜、一生懸命がんばっております。

信用というものはなかなかすぐには得られないものですが、そういう人々の努力苦労というものを一瞬にして無にしてしまうことは可能です。その大きな事件は珠海の買春事件、そしてそのあとの政府の対応がそれでした。あのとき私は香港に住んでいましたが、しばらくは香港人と顔を合わさないようにしなければなりませんでした。

そして今回の問題です。私には寺側が激怒するのは当然だと思えましたし、それは簡単に予想できたたぐいのものだと思います。
番組でもああいう癖のあることを言っていらっしゃいましたのでただのノリでやられたことだと思いますが、そんなことをして受けているのは身内だけではないのですか?
私なんかでもいいおっさんのものを見たら気持ちも悪いし、多くの人も同じ印象ではないのでしょうか。

どうか中国にも一生懸命働いて信用を作るために努力している日本人がいるということを察していただいて今回の事態、よくお考え下さり、責任を持って逃げずに誠実に事後対応していただけることを切に願っております。

おそらくこのような手紙は無視されることはわかっておりますが書かずにはいられない気持ちをお察し下さい。 では失礼いたします。

2007.02.02     カテゴリ:  深圳内装日記2004-2005 

   中国深圳初内装日記(60) タイル交換受け取り (2005.3.17)


【60】  2005年3月17日  タイル交換受け取り
今日はタイル交換の日。まず香蜜山へ。
木工部分が少し仕上げられていて何か塗られたのか、気の色が生き生きとしていて、見た目がかなりよくなっていた。
欠けたタイルを用意してきた袋に詰め込みタクシーで出かける。18元。往復36元か...と考えてしまう。

新しいタイルを確認して受け取る。新聞紙で包んでくれた。再び袋に詰め込みタクシーへ。
タクシーは若い女性の運転手。おばさんの運転手は数度見たことがあるが、これだけ若い女性は初めて。運転技術は初心者のようだったが、香蜜山を知っていた。香蜜山と言ってすぐ分かってくれたのは初めてなので楽だった。

10,700歩

カメラは心当たりをチェックしてみましたがやっぱりありません。以前使っていた130万画素のものを再登場させ、とりあえずこれで乗り切ります。

どこでもそうでしょうが買うときはサービスがいいのですが、返品や交換となると冷たい反応です。
私はこういうのを面倒がるタイプなのでちょっと疲れますが、こちらにいればこういうのを面倒がっていれば安価で上手な生活はできません。その点、日本製は品質十分なのでいいのですが、値が張ります。

タクシーでマンションの名前を行っても新築のため所在を知っている運転手はごくわずか。道を教えながら行かなくてはなりません。これが面倒。この日は珍しく知っている運転手に遭遇、ラッキー。


復活させた130万画素カメラでの画像
木口貼り、化粧板貼りの施された木工


 

 


2007.02.03     カテゴリ:  深圳内装日記2004-2005 

   中国深圳初内装日記(61) スズキの車を買った中国人 (2005.3.19)


【61】  2005年3月19日  スズキの車を買った中国人
久しぶりのいい天気。空気は少し冷たい。今日はかつての同僚の中国人との約束の日。彼はいつも遅刻なのでそれなりに対応しよう。
香蜜山へ。油漆工が来ていた。塗っているのは砥の粉だろう。色合いをどうするか考えておいた方がいいのだろうか。食卓部の食器入れの戸は実装されていないができていた。

しばらく観察したあと、323路のバスで経済特区からはずれる宝安へ。6時過ぎに到着。約束は6時半だが遅れてくるだろうという推測でまず軽食を。あとGパンを買う。彼から電話、着いたらしい。
彼は買ったばかりの車でやってきた。SUZUKIの1200cc。オプションはCDぐらいしかないが、7万元だという。
会社を辞めて会社を作るつもりだと言う。妹の会社は失敗して数万元の損失だとか。
珈琲ショップでご飯を食べて別れる。すでに9時をすぎている。
検査站まで送ってくれる。

362路のバスを待つが、337路の羅湖駅行きが早く来たのでこちらで帰ることにした。7元。ちょっと高い。
11時頃帰宅。

13,000歩

彼に言われて気づきました。中国のWTO加盟後、車もどんどん安くなってました。以前聞いたのは会社で使う車など、税金が100%ぐらいかかるので日本円で500万円ぐらいとか言っていたのに、このころにはスズキの車でさえ7万元、100万円で買えるようになっていたのでした。白タクなどで話していると5万元、3万元で買ったと言ってますから。1万元ぐらいでもあると言ってました。中古でしょうけど。

私はペーパードライバー、車には疎いです。彼の買った車、車好きな友人に見せたところ、このような車はスズキでは知らない、と言っていました。ただ、偽物ではないように見えましたので中国向けの特別バージョンかも・・・
7万元とは言えど、中国ではやっぱり車はまだ貴重品、彼の態度がちょっぴりセレブです。おまけに運転が慎重この上なく・・


目止め




ダイニング、食器入れの扉
オリジナルの設計ではすのこのようなままなので、あとでガラスを入れるようにしてもらいました


彼が買ったスズキの車

2007.02.04     カテゴリ:  旅行 

   【旅の思い出】 杭州・蘇州の旅


【旅の思い出】 杭州・蘇州の旅
2000年 8月

杭州


杭州

2000年の夏、会社で10日間の休暇をとって上海近くの蘇州・杭州へひとり旅に出ました。1996年、香港に出てきてから初めての中国旅行。
杭州と蘇州へ行くと決めて香港から行きと帰りのチケットをとっただけで細かい日程は決めずに出かけました。

ひとり旅のぶらぶら旅行といっても、杭州には杭州人の友人が彼女とふたりで旅館の手配をしてくれたり、鍾乳洞を案内したりしてくれました。
蘇州ではネットで知り合ったばかりの日本人がこれまた世話を焼いてくれたこともあってひとり旅という印象の少ない旅行になりました。

それでも日程の半分以上はひとり旅だったわけでいろいろ経験もありました。このころはまだ言葉も困難が多かったので・・・

杭州・西湖は30元程度で観光舟。小さな小舟で西湖内のいくつかの小さな島を巡ります。
島巡り後、船着き場の前には「車で10元の観光案内」と言う紙を見せる客引きのような人たち。

車で10元は安すぎるので何があるのか、私の中国語の解釈も難があるので少し不安に思いながらも好奇心が勝ってしまいました。
車に乗り込み、まず「龍井問茶」へ。龍井茶は緑茶で日本の玉露に似た味。お茶は好きなので買いました。すごくいい香り。
運転手は私からお金を受け取り買ってきてくれます。
ほかには中国の名産品店とか真珠店とかをまわりましたが、私にはこれらは全く興味なし。買わずに過ごします。

運転手はだんだんいらいらしてきました。結局買ったのはお茶だけ。運転手はもう怒髪天の気持ちを抑えているのか・・・
適当なところで降ろされ、追加の金を要求されました。すったもんだで5元だけ払いましたが、運転手は収まりきれない様子で戻っていきました。

そういうことだったんです。いろいろな場所へ連れて行って買った分のマージンを店から回収することで儲けるのでした。私が買わないので利益が出なかったのでしょう。
龍井茶の時はバックマージンのことを思ったので即座に頭の中で計算、10%程度のマージンを取ったと感じましたがあくどいことはないですね。

ただこれはみんな承知で行くのでしょうか。だとすれば私は申し訳ないことをしたと言うことになりますが・・・
この辺が言葉の不自由な時の功罪でしょうか。



西湖








西湖湖畔 ここから10元観光車が出発


龍井茶の入り口。
この奥にミニ滝やらのこしらえがあって立派な龍井茶会館みたいなものがありました




日が変わって杭州人の友人が連れて行ってくれた鍾乳洞の近く


鍾乳洞の中庭みたいな・・




さらに友人の友人が龍井茶をやっているとのことで家に連れて行ってもらいました






龍井にある龍井茶の会館です




六和塔


霊隠寺


霊隠寺






【旅の思い出】 蘇州


蘇州

さて、杭州から蘇州へバスで行こうかと思ったのですがバスのチケットが売り切れで往復とも列車で移動、蘇州へは軟座(1等)、蘇州から杭州へは硬座(2等車)で。
中国で列車に乗るのは実質1回目、ハプニングもありながらの蘇州入り。

今はなくなりましたが、杭州・蘇州を旅行した2000年当時、深圳でも宝安あたりでは人が座れるようにした荷車を自転車で引いてタクシー代わりにしている力車、それにオートバイのタクシーがあり、けっこうおもしろがって利用していました。

蘇州でも力車が走っていて、朝、町を歩き出すと客引きの力車がひっきりなしに声をかけてきました。で、思いつきました、力車を1日チャーターして観光できないかと。
感じのいい「運転手」を選んで交渉、100元ちょっとでまとまり1日一緒に観光することになりました。

なんか簡単な力車なので自分で作ったかと思いきや、お上への手続きがいろいろあるそうでタクシー会社みたいなのがあって、そこから借りるのだそうな。自分でやると何万元も必要とのこと、いつの時代でもどこでも権力を利用して働かずに儲けようとする人が多いようです。

運転手と話をしながら各観光地へ向かいます。どうやら彼は反体制的な意見の持ち主のようでした。腹を割って話してきて気持ちがよかったですね。一番最後に 蘇州のシルクを売っている店に連れて行きました。私はいつも通り買いませんでしたが彼の性格からしてマージン稼ぎには思えませんでした。
最後の別れ際に彼は握手を求めてきました。

中国では交渉次第でいろいろなことができるな、とその自由さを面白く感じた旅行でした。



2000年8月当時の写真です。

北寺塔から見た蘇州



北寺塔


虎丘


留園




蘇州の水郷




寒山寺






力車


拙政園




当時の杭州空港


2007.02.05     カテゴリ:  ハプニング 

   【ハプニング】 深圳のバスの治安 - スリ


深圳のバスの治安 - 数度のスリ被害の経験から

2007年2月5日

2006年の6月末に深圳経済特区内でのミニバスが廃止されました。その代わりみたいに新しい路線には大型バスの長さを短くしたバスを見かけるようになりました。こうしてミニバスに乗らなくなると、ミニバスはちょっと怖い感じがしてきます。特区外へ行くと今もミニバスが走っていますが、乗ると緊張感が走ります。逆に言えば深圳特区内は安全性が増したと言えるかも知れません。


香港のミニバス
深圳特区内で廃止されたミニバス
香港でミニバスは定員以上の客を乗せて走ることはありませんが、当時、深圳ではおもいきり詰め込んで走っていましたので物理的にも危険があるかも知れません。

最近は滅多にありませんが、バスに乗る頻度が半端でない私は以前にバスでけっこう被害に遭っています。

特区内のミニバスではズボンのおしりのポケットをナイフで切られました。このときはミニバスに乗る前におしりのポケットの財布を胸のポケットに移していたのですが、名刺入れがおしりのポケットに入れてあったのでおそらくこれを財布と思いポケットを切ったのでしょう。
切られた感覚は全くありませんでしたし、犯人と思われるのはこざっぱりした身なりの男性。ほかに席があるのに私の横に座りました。

特区外でのミニバスではズボンのベルトに通す携帯電話ケースから携帯電話をすられています。このときは急に乗客が増えてきてそちらに気をとられ、自己防衛のスタイルをとることを失念していました。ただ携帯電話は、安物、フル充電でも電池が1日ももたなくなって来ていたので(新品電池でも同じ)、ちょっと嫌気がさしてきていたと言うことも油断に関係しているかも知れませんが、SIMカードの再発行手続きがうっとうしい。


特区外の中距離バス
特区外の中距離大型バスでは鞄の外側の部分をやはりナイフで切られました。2回。一度は隣の男がスリだと見抜いていながら防衛できませんでした。ただ、こういう時の鞄は安物の上、外側の袋には貴重品は入れませんので2回とも切られたこと以外の被害はありません。でもじんわり腹が立ってきます。
このときも特区内のミニバス同様、犯人はこざっぱりした服装。

で、いろいろ経験を元にスリを見抜いて難をさけたと思える出来事が数度。

以前、日本語を話す朝鮮族の中国人が日本へ行き新幹線に乗ったとき、連れの日本人と一緒に荷物を座席に置いたまま食堂車へ。長時間の後、荷物がそのままあるのを見て感激したと話していました。
ただ、いろいろなニュースを聞くと、こういう種類の治安の良さは日本だけといえるでしょう。海を越えれば、自分の身は自分で守らなければなりません。いわば、無菌培養で育った日本人、防御態勢が自然にとれるように授業料と訓練が必要なのでしょうね。



いろいろなバス

 

 

 
バスの切符

2007.02.06     カテゴリ:  香港在住日記1996-1998 

   香港初在住日記(62) 鄧小平の死と香港人の感情 (1997.2.20)

【62】  1997年2月20日(木)  小平の死と香港人の感情

今日は朝から小平のニュースばかり。どのチャンネルでもテレビは放映している。タイマーでNHKニュースといくらかの民法をビデオに撮っておく。
通勤時、九龍湾駅で初めて新聞を買う。保存しておくため。新聞は5香港ドル、80円だが袋に入ってどっさりある。ニュース、芸能、スポーツなど、分野分けされている。

会社では特別どうということはないが香港人Mr. Cと話をすると(今)中国へ行くのは危険だ、と繰り返している。中国のことだから指導者が替わると政策がどうなるかわからない、と。
7月の返還の話をするが、周りの反応が静か。この話はしない方がいいかもしれない。会社の技術部門の中国への引っ越しで、みんな中国へ行くことになっているし不安に違いない。日本人にはまずわからないだろう。とにかく明日、香港人の相方は中国へ行く。
今日は相方ともうひとりの香港人と3人で夕食を。



このころの香港人を見ていると中国のことにはすごく敏感だったように思います。民族として同じですから気持ちがわかるでしょうし、侵略者としてのイギリスの教育を受けているわけですから、中国のことは都合のいいように教えられているはずですから、不安になるのは当然だといえます。時勢に乗って工場や技術者の中国への移転が盛んになってきていましたが、中国へ移転すると言われて技術者の95%が会社を辞めたところもあるぐらいです。事務所は深圳羅湖の一等地、地王ビル、条件として中国側では毎日送迎の社用車を走らせる、という待遇にもかかわらず・・・

こういう話も今では昔話になりつつあります。深圳・皇崗のイミグレに近いマンション群では、香港のスーパーや店がたくさんでき、マンションの構造も香港みたいで、すでにミニ香港みたいな様相になっています。会話も広東語が主流になっている所も多くなりました。
もっとも広東省では深圳が唯一普通語(標準語)の地域ですが。

道行く人に香港人が増えている「崗厦」


2007.02.07     カテゴリ:  香港在住日記1996-1998 

   香港初在住日記(63) 日系アメリカ人Mr. KK (1997.2.21)

【63】  1997年2月21日(金)  日系アメリカ人Mr. KK

香港人Ms.Oが僕のマンションのことで話をしに来た。技術部が中国へ移動するので今のマンションはもったいないので別の用意された所へ移るようにとのことらしい。前の話では今のマンションをキープするとのことだったが・・・

僕の後ろでMr.KKが部下の日本人女性と話をしている。彼女がインドに行ったときの話をしている。彼は「僕はとてもそんな所には行けないよ。彼ならたぶん大丈夫だよ」と僕のことをいっている。僕もまあ大丈夫だろうと答える。久しぶりにMr.KKと話をする。
彼女とは少し話をしたことがある。香港が好きで来た、と言っていた。僕はアジアが好き。そういう話で僕がそういう雰囲気を持っていることがわかると彼女は積極的に話してきた。仲間を求めているのかも知れない。

マンションに帰ってから有線テレビの日本ドラマ「聴不到的情話」(愛していると言ってくれ)を見る。なかなかいい。

中国へ移動の準備が進んできました。ウィークデイは中国、週末には香港に戻るという二重生活となります。で、今のみんなのマンションは大きすぎてもったいないというので、中国へ配転になる人はマンションを共同で使うようにするという上層部からの提案でした。提案が二転三転するのでいろいろとあちこちでもめてました。給料、待遇などの契約内容もそれぞれ異なっているので調整が大変です。

Mr.KKは日系アメリカ人。アメリカに渡ってアメリカ人女性と結婚しアメリカで働いていましたが、その後香港へ単身赴任。私とはけっこうウマが合うのでよく雑談をしていました。
アメリカでは国外で働いても7万米ドル以上の収入があるとアメリカに税金を納めなければならないということで、給料調整が大変だ、とかいう話や彼の愚痴話などを。愚痴といっても私にとっては嫌みがなくすんなり入ってきます。

とにかくもこの会社は日本人が数十人、そのうち女性も数人。女性は広東語、北京語を話す人が多いです。男はほとんどが英語だけ。これは男女差だろうと思いました。女性は実生活に適合するように動くのでしょうか・・・

今の香港、ジョーダン付近


2007.02.07     カテゴリ: 日記 >  四季の日記 

   【深圳 冬】 深圳からオリオン星座

2007年 02月 07日




あるブログのオリオンに刺激を受けてベランダへ出ると正面にオリオンが・・・カメラを取り出していました。
撮影してみるとコンデジとは思えないできばえに感激。でもコンデジはコンデジ・・・Photoshopの助けも借りて・・・まねごとを。


オリオン座の左上のベテルギウスが赤く写って感激。(この写真は白っぽいですが・・・)
これは縮小していてよくわかりませんが原画ははっきり赤く写っています。
対照のリゲルも青白く鋭く光っています。
M42星雲はわずかに雰囲気が・・・
こうなるといいカメラが欲しいですね。
さらに小さい星の一つ一つまで立体的に色もくっきり、本当にびっくりでした。
(原画は容量オーバーでUPできません)


左の方に青白く明るく光るのはおおいぬ座のシリウス
上の方のこいぬ座のプロキオンとで冬の大三角に。
少しパンして・・
この画像です。

冬の大三角


(中国時間2007年2月7日0時08分撮影)



地上では新マンションの建設で一晩中灯りがついていますので星空写真の下の方が明るいです。
ついでに撮影。


2007.02.09     カテゴリ:  深圳内装日記2004-2005 

   中国深圳初内装日記(62) 内装設計会社へ第3回目の支払い (2005.3.21)


【62】  2005年3月21日  内装設計会社へ第3回目の支払い
項目経理(現場責任者)から電話、第3回目入金の件。見積もりによる最後の支払い。あとは仕上がり後の精算分。

深圳へ。まず現場へ行き状況確認したあと、財富ビルの装飾公司の事務所へ。リリーフ設計士と現状について意見交換。コンセントの追加の件と食卓部の戸棚の戸がスノコになって、間が透いているので穴を閉じてほしいと要求する。彼は香蜜山へ行って打ち合わせをするという。

会計部の人を連れ3人、事務所の車で招商銀行へ。これは自分ひとりでお金を出しに行った時、万一の事故を防ぐため。付いてきてもらうと銀行内で支払えばよい。

再び現場へ。リリーフ設計士と塗装の色について打ち合わせ。あと戸棚の戸の形状変更を工人と話す。
リリーフ設計士はやっぱり考え方や知識の点でちょっと頼りない。工人にも心なしか無視されているように見える。27才ということで退職した女性設計士よりも年上なのに残念。重要項目は元の設計士が優れていると思う。これだと名雕を選んだ意味がない。海大の方がよかったのではないかと悔やまれる。

 近くの日本料理屋で夕飯を食べて地下鉄で帰る。

10,700歩

以前、木工の部分は上から色を塗るので木の色目は気にしなくてもいいと言うことでしたが、情報ではそんなことはしないと言うことを別の人から聞いていたので、中国語を聞き間違えているのかと頭の中でややこしくなっていました。
どうも色塗装をすることがはっきりしました。あとで色のサンプルを作ってもらうことにしました。

ほぼ目止めされた木工


香蜜山の前でもマンションが建設

香蜜山を買ったときは「通天閣」が見えていたのに・・・



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