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2007.01.01     カテゴリ: 日記 >  四季の日記 

   謹賀新年2007



明けましておめでとうございます
本年もよろしくお願いいたします

平成19年  丁亥元旦 2007年






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2007.01.02     カテゴリ:  香港在住日記1996-1998 

   香港初在住日記(52) 中国東莞工場で(第6日)香港で同僚の結婚式が (1997.1.23)

【52】 1997年1月23日(木) 中国東莞工場で(第6日)香港で同僚の結婚式

明日は香港で香港人同僚の結婚式がある。東莞工場にいる香港人の機構屋が明日休暇らしい。明日は帰るというので日本人上司がぼやいている。

僕は以前日本にいた頃、中国人の知り合いから、朝会社に電話があり、「今日の午後引っ越しをする」と言う。手伝いに行けなかったらその後それなりになってしまったことがある。

そういう習慣なのか、東莞工場にいる香港人は今日ほとんど帰るようだ。

今日は珍しく雨。少し肌寒くなった。

今はこういうことはあんまり感じませんが、たぶん日本人にとってはこれもびっくりの習慣でしょう。けっこう重要な仕事があってもみんな帰ります。
この日本での引っ越しの件、別のアジアに慣れている日本人はこっそり休暇を取って退社、引っ越しを手伝いに行きました。日本にいるとちょっと割り切れないものがありました。
2007年1月2日の今日の深圳はいつものふつうの火曜日。私のマンションの隣では新年早々新しいマンションの建設工事再開です。
2千数百戸ができるという大きなマンション。全部入居すれば1万人近い人が住むことになるのでしょうか・・







2007.01.03     カテゴリ:  香港在住日記1996-1998 

   香港初在住日記(53) 中国東莞工場で(第8日) 結婚披露宴の翌朝 (1997.1.25)

【53】 1997年1月25日(土) 中国東莞工場で(第8日) 結婚披露宴の翌朝


香港人の仕事の相棒は昼前にやってきた。披露宴は深夜1時まであって2時に寝たそうだ。
「今日7時に起きたのか」と聞くと「Yes」とにやにやしている。うそつけ。それならもっと早くここにつくはずだ。もっと遅く起きたのだろう。ま、楽しそうな顔をしているからよかった。

夜、相棒とビリヤードをする。今日もなかなか調子がいい。1勝1敗で終える。
風呂に入る。


私もこれまでに香港での披露宴に10回程度行っていますが香港での披露宴は普通、夜7時頃から始まります。
それより早く行った人は別室に設けられた部屋で麻雀やトランプをして時間を待っています。
服装はけっこうラフです。女性はおめかしをしている人も多いですが、男性はノーネクタイ、Gパンという人もけっこういます。
円卓ですので席は細かく決められているわけでもなく、恋人や奥さん、旦那さんを連れてきている人も多いです。うっとうしい来賓挨拶もないしほんとに気楽でいいです。



こんなアルバムも作ります

2007.01.04     カテゴリ:  テーマパーク / 休暇村 

   福田区 園博園 - 花博跡


福田区 園博園
2007年1月4日

園博園(深圳国際園林花卉博覧園)は深圳・南山区の錦綉中華(ミニチャイナ)に近い福田区にあります。

中国建設部と深圳市が共同開催した第5期中国国際庭園の花博の地です。今はあまり使ってない施設があって少し荒れています。少しだけ散歩しました。

→  园博园 



























2007.01.05     カテゴリ:  深圳内装日記2004-2005 

   中国深圳初内装日記(52) 空調を買う (2005.3.8)


【52】  2005年3月8日晴  空調を買う
香蜜湖で地下鉄を降り、215番のバスで百安居へ。空調を見に行く。

結局三菱の空調に決定する。1匹が2台、1.5匹と2匹が1台ずつの計4台。16,000元ちょっと。明日、配管工事に来てもらうよう交渉。現場責任者(項目経理)に電話連絡しておく。粗品として移動用電磁炉(IHクッキングヒーター)が2台。

対応した販売員(男性)は以前深圳福田区のJASCOで働いていたという。給料はJASCOがよかったらしい。イギリス人のボス(百安居はイギリス系)はけちだと言っている。

再び215番のバスで楽安居へ。

項目経理に煙管の購入を催促されている。キッチンで使うらしいがどういうものかよく分からないので、とりあえずなじみになったシステムキッチンを売っている店員に聞きに行く。彼女は項目経理に電話で確認してくれて売っているところへ連れて行ってくれた。
楽安居内ですぐ近くの厨房具を売っているところにあった。話をしてだいたい意味を理解するが、念のため項目経理に電話をし彼と話をしてもらって確認する。

25元と40元のがある、40元のを買う。キッチンの換気扇(レンジフード)と部屋の換気扇用の穴とをつなぐパイプ。直径15cmぐらいのポリのような材質で蛇腹になっていて自由に曲げられる。
(写真はキッチンの天井の間接照明用の組み物。ちょっとのぞいているものが煙管)


ここの販売員の女性はなかなか面白かった。広東人。多く話をする。給湯器は買ったかと言う。百安居は高いらしい。僕は2,970元で買ったが、ここでは2,700元だという。300元損をした。百安居は1ヶ月のクーリングオフ期間があるからキャンセルしろと。もう1ヶ月以上たっているから無理。

電磁炉(IHクッキングヒーター)もあったので見ていく。新たにドイツのブランドのを見つける。さすがにすっきりしたデザイン。僕が候補にしているのはイタリア・ブランドだが、2,000元だという。ドイツのは2,900元。心が揺らぐ。2,400元までなら即決だが差がありすぎるので考えよう。

香蜜山へ5時頃到着。もうすでにみんな帰ったあとだった。割合ちゃんと掃除できている。
書斎の机の奥行きを測ってみる。66cm。70cmの指定だったのに4cmも短い。70cmでも短いかなと思っていたのにショック。

中国では空調の強さを一般的に「匹」で表すようです。馬力の馬が1匹、2匹と言うことなのでしょうか。
空調は土地柄か、暖房機能のあるものとないものがあります。暖房機能付きは300元程度のupだったと思います。
最近の香港や深圳の冬の寒さを考えて全部暖房つきのを購入。


リビング




リビングの仕切り板


この木枠にはめ込みます



書斎の机。奥行き70cmで指定していたのですが、測ったら66cmしか・・・
ただ名雕装飾公司の基準は60cmとか。


ベッド部 ベニヤ板のはってあるところに壁紙、軟包というものを張ります


多効能室の机とテレビ台


キッチン コンセントはレンジフード用


2007.01.06     カテゴリ:  深圳内装日記2004-2005 

   中国深圳初内装日記(53) 空調の配管工事 (2005.3.9)


【53】  2005年3月9日晴曇  空調の配管工事
香港から香蜜山へ。久しぶりに皇崗のイミグレを通る。今日の空気は昨日より綺麗だ。

主ベッドルームと書斎の空調のパイプ穴の位置を変更するので、空調のパイプ工事が必要なようだ。
イミグレにさしかかったときに空調の設置会社から電話がある。あと30分ほどしたら香蜜山に行くことを伝える。皇崗から325路のバスで香蜜山に。着いてから設置会社に電話をして、項目経理に電話。彼は素っ気ない。行けないのでやっておいてくれ、とのこと。熱水器のリモコンの位置変更もできていないし、あまりいい気分ではない。待っている間にキッチンのデザインを考える。

1 時間ほどして空調工事にやってきた。やっぱり、2部屋分の空調部分の配管が必要なようである。他の2つは内装工事後で大丈夫とのこと。ただ、何か説明をして言っているがなんのことか分からない。結局ホースがいるようだ。一緒に外へ出て買いに行く。五金屋(金物屋)にあると言っているので近くの古い町へ行くとあった。ガラス繊維が織り込まれたビニール管を買う。2.5/mで3m、7.5元。
帰ってから彼らの作業を見ていると、どうやら空調から出る水の排水用のようだ。あと2台のインストールの時も買いに行かないとだめなのだろうか。それとも持ってくるのを忘れた?買いに行くというのもおかしいし。

彼らが来るのが遅かったのでみんなの仕事ぶりを見ることができた。
トイレの天井は合成ゴム系の接着剤で貼っている。保護紙には安装以後45日以内に保護紙をかがすように書かれている。どんな天井なんだろう。華里天井の木と接着剤だけで固定されているようなのでくっつきが悪いとまた剥がれてくるかも知れない。

招商銀行へ、港幣(香港ドル)を人民元に両替する。いつもながらたいそうだ。1回の両替限度額の77,000元。1.0594の換え率。たぶんイミグレ前よりもよいレート。

10,000歩


多効能室の机とテレビ台




TV台は支えがなく壁から突きだしているだけ。かっこいいのですがちょっと心配。
 

仮の支えがついていますが最終的に取り払われます。下に金属棒2本が隠されてます。

引き出しもできました


主ベッドルームと書斎の窓部分の台が削り取られました。
煉瓦でできていたので構造材ではないでしょう。
 

リビング


ドリルなどを使うと天井からほこりが落ちてくるので新聞紙で帽子を作ります。
はやっているみたいでみんなやります。


中国では金物のことを五金と言います。五金とはもともと金、銀、銅、鉄それに錫ですが、一般に有用な金属全体を指します。


2007.01.09     カテゴリ:  香港在住日記1996-1998 

   香港初在住日記(54) 中国東莞工場から12日ぶりに香港へ-白タク初体験 (1997.1.29)

【54】 1997年1月29日(水) 東莞工場から12日ぶりに香港へ - 白タク初体験

香港に帰る準備をしてゲストハウスから出勤する。明日は東京へ。

午後少し荷物をまとめる。タクシーで深圳へ出ることになった。バスは強盗事件があってから使用しないことになったそうだ。総務に頼んでタクシーを呼んでもらう。値段は電話で呼んだ場合は250元だそうだ。

タクシーが来てから値段を確認する。運ちゃんはいろいろ言っているがわからない。130元という言葉が聞き取れる。安いのでおかしい。何か意味があるのでは...
50元と130元で180元だと??50元は高速道路代なの?最後に「好不好」と聞き取れる。よくわからないまま車はゆっくりと走り出した。途中いろいろ説明をしてくれるが貧弱な語学力なのでやっぱりわからない。

タクシーは冬のさなかだというのにクーラーが入っている。確かに今日はセーターを着ていると少し暑い。途中タクシーの事務所らしいところで運ちゃんは事務所の小姐に声をかけている。小姐は車に近づき「250元・・・」と広東語で言っている。運ちゃんはにやにやしている。

さらに車を走らせ、タクシーやバイクタクシーがたむろしている所で停車。運ちゃんは再び聞いてきた。「好不好」。まだ事態が飲み込めない。180元で高速道路を使うのかどうか気になる。「どれくらい時間がかかる?」「1時間」。まあいいか、「好」と返事。タクシーを乗り継ぐと言うことのように思える。この運ちゃんは、自分に50元を、次のタクシーには深圳まで130元を、と言っているようだ。工場で聞いていた250元に比べていやに安いなと思いつつ、物騒な感じはしなかったのでOKした。

近くにいるタクシーかと思いきやそうではなかった。次のタクシーに乗ってるうちに事情がはっきりした。
2つめのタクシーにはメーターがない。すなわち白タクだ。つまりあのタクシーの兄ちゃんは白タクの斡旋をしたのだ。たぶん手数料を取っているはずだ。でも別に損をしたと思わないからこれでいいのだろうが。でも最初のタクシーの50元はとりすぎだ。20元ぐらいに値切れただろうなあ。
まあしかし、このことは会社の人に言わない方がいいだろう。しばらく秘密にしておくか。

高速道路の料金所で白タクの兄ちゃんは30元を支払う。僕から130元を受け取るから彼の手には100元か。タクシーの兄ちゃんにどれくらい支払うのか知らないが10元とすれば彼の手には90元。1000円ちょっと。往復2時間かけて1000円のもうけ。それでも白タクの兄ちゃんは「ありがとう」と日本語で言い本当にうれしそうだ。ん・・・考えてしまう。確かに1日50元稼げば1ヶ月1250元。悪くない。それも1日2時間ですむ。そう考えると130元でも出し過ぎかもしれない。いずれにしても250元から180元になった。悪い話ではない。しかし安全性の問題もあるので次回からは少し慎重に。今回は会社から頼んだのでそんなに問題ないかもしれないが。

(白タク編は終わり) 香港初在住日記(55)海鮮料理編へ続く 


春節近くなるとバス、特に長距離バスはぶっそうになります。ふるさとへ帰省するためにお金がほしいのです。
で、このころバス内で強盗事件があってバス禁止となりました。

中国で初めて白タクを経験したのですが、これには少し問題点が・・領収書のない場合が多いのです。会社に請求する必要があるときには要注意ですね。

もしここに深圳のタクシーがいたら、帰りのタクシーになるのでこれもまた交渉で安くなります。
こちらのタクシーの運転手はタクシー会社にタクシーをレンタルして営業するのでいわば個人タクシーのようなもの。状況に応じて交渉次第で安くなる場合が多いのです。大回りしたりしてごまかすタクシーも多いですが。
一度、釣り銭をごまかされたことがあります。10元札を数えるときにマジックをされました。金額的には10元ですが、だまされたことに腹が立ちました。

と言うようなわけで最近はタクシーは滅多に使いません。白タクは時々・・・
ま、地下鉄ができてタクシーの客が減ったのも頷けると思っていますが・・

2007.01.10     カテゴリ:  香港在住日記1996-1998 

   香港初在住日記(55) 中国工場から12日ぶりに香港へ-海鮮料理 (1997.1.29)

【55】 1997年1月29日(水) 中国工場から12日ぶりに香港へ - 海鮮料理


イミグレではスムースに進み夕方5時15分頃KCRに乗り込む。藍田の家には6時過ぎ到着。
H氏の奥さんJH小姐(広東人)に電話するがいない。日本の私の家族や友人に電話。明日から東京で仕事をした後、奈良へ帰省することを伝える。電話を終えご飯を炊き始める。

7時半頃JH小姐から電話。今ヤオハンから帰ってきたらしい。これからこちらに向かうという。海鮮料理の店へ行こうと。OK。しかし炊き始めたご飯はどうなる...ははは。

8時半頃、僕の家に3人でやってきた。北京人YY小姐とその友達と一緒だ。友達は○○さんと言うらしい。少しだべってタクシーで。15.2ドル本当に近くのようだ。
威勢のいいおばちゃんと何を食べるかごちゃごちゃ交渉。広東語、普通語、日本語が飛び交う。

なかなかまけてくれそうにない。中に入ってYYが再交渉、僕が香港に住んで働いていると言うと相手の表情が変わる。名刺を出すととでまた計算し直すと言ったらしい。へえー、そんなことが交渉の材料となるのかと感心する。ともかくも負けてくれることは間違いない。皆おいしいと言って食べてくれるのでよかった。ただカキはだめのようだった。まあそんなこともあるだろう。

マイタン(勘定)をする。861ドル。何か言ってるが聞いてみると、最低の値段で計算したのだそうだ。うん、よしっ。もう来ることはないのかも知れないが次もこの手が使えそうだ。
再び藍田に戻る。僕の家でお茶でもと言うが11時なので帰るという。JH小姐は自分の家に泊まって行けとYY小姐たちに言うが、彼女は遠慮してかホテルに帰るという。2人をMTRの駅まで見送る。
JH小姐が次回はホテルなんかに泊めずに自分の家に泊めたいと言う。

私の日本人の友人で2人の男性が中国人と結婚しています。1人は私を香港に呼んだH氏で奥さんがJH小姐で香港在住、もう一人は大阪で仕事をしていて、その奥さんがJH小姐の友人でYY小姐。彼女はもちろん大阪に住んでいます。
広東省出身のJH小姐は香港在住7年を過ぎて現在は香港に戸籍を持つ香港人となりました。パスポートも香港に変わり日本へのビザが不要に。

この日はYY小姐が大阪から大阪人の友人と2人で香港へ遊びに来ていたのです。JHの旦那はこの日は中国で仕事なので、私が彼女らとともに有名な鯉魚門へ海鮮料理を食べに行きました。JH小姐は私が初めて深圳を訪れたときに紹介されているのでもう5、6年のつきあいです。しかしながらこの3人の女性、身長が半端でなく高いのでバレーボールの選手の中にいるような気分。
いろいろな値段交渉があるものです。彼女らはさすがに中国人、様々な手で値切り交渉をします。私の名刺を出したのは肩書きを利用して以後の仕事での再来をにおわす作戦です。これが成功。普通あれだけの量を食べて1000香港ドル以下になることはありません。
以後も数度でかけましたがもうこの手は使えませんでした。(何しろほとんど行きませんでしたから)



1998年2月にフィルムカメラで撮影した海上生活をする島
(この日の海鮮とは関係ありません)


2007.01.11     カテゴリ:  雑感香港人 

   雑感 - 香港人【6】 めがね屋で

雑感香港人6 (2007.1.11)

雑感 - 香港人【6】  めがね屋で

日本で買ってきためがねがお尻の下で壊れてしまったので買わなければならなくなったときのことです。

以前めがね関係の仕事をしていたという香港人同僚がめがね屋を紹介してくれるというので彼と待ち合わせて出かけました。九龍湾にあるめがね屋さん。
測定をしてめがねを作ってもらうのを待つ間に、同僚の紹介だというので店の主人、そのお父さんなどと5人ほどで食事に出かけました。お父さんはそこそこ高齢で戦後香港に出てきた様子。普通の気のよいお父さんの上品なイメージできれいな北京語を話します。

食事が進んだときにお父さんは私に戦争時代、もちろん太平洋戦争の話をしました。アルバムを持ってきていて懐かしい戦争当時のある仲間の写真を見せながら説明してくれます。あいにく中国語の能力がついていきません。

そしてお父さんは日清戦争でどうして小さな日本に負けたのか不思議だ、と言います。ここへきてそれまで不愉快な顔を隠そうとしなかった若者たちの顔がお父さんに対していっそう批判的になり、空気を察したお父さんもトーンダウン。お父さんは私に「あなたは戦後生まれなのですね?」「そうです」と答えます。お父さんはそれで納得しようとするように話をおさめました。

このときのめがねは「JAPAN」の文字のあるチタン製フレームに日本製のプラスチックレンズ。500香港ドル(8000円)。今も健在、もう5年以上使っています。

九龍から香港島を (クリックしてください。 2004年4月撮影)


私はこういう話を持ち出されたことになんの不快感も感じませんが、言葉が思うに任せず自分の考えをうまく言えないのが残念でした。

もし、あるデパートでテレビを買ったけれども、テレビが故障。買ったデパートへ持って行くと、店員が変わっていて「私が売ったものではないから、私に責任がないのでどうしようもできない」と言われたら・・・・

私は戦後生まれ、直接戦争の責任はないと思っていますがこのデパートのように日本人として後のフォローをする責任はあると思っています。その代表者が政治家だとは思っていますが、私たちのような一般庶民としては普通に隣人として仲良くしていきたい気持ちでつきあえばいいと思っています。

マンションを探していた時、深圳のあんま屋にお茶の机を置いてお茶のサービスをしてくれるところがあって中国人の客たちとお茶をよばれながら話をしたことがありますが、政治の話になり、ある中国人に「小泉純一郎はタカ派だろう」と言われたことがあります。(彼は私の筆談帳に「日本鷹派」と書いたのでタカ派のことだと思います)
こういう話はこちらに長く住んでいると話題となるのは仕方のないことですが、自分の考えというのははっきりしておいた方がいいのでしょうね。

こちらに出てきている日本人に、たまにはっきりアジア蔑視していると思える人や言葉汚く香港、中国をののしる人を見かけますが、おそらくウマが合わないのでしょうね。ただ、現地人に限らず、ほかの日本人が聞いてもいやな感情を持つと思うのですが。

私はふるさとが奈良、家の周りには中国との関わりの遺産がたくさん残っていて小さいときから興味を持って見ているので中国に対するイメージは悪くないのです。もちろん個人差がありますけどね。

 

2007.01.12     カテゴリ:  深圳内装日記2004-2005 

   中国深圳初内装日記(54) リリーフした設計士 (2005.3.10)


【54】  2005年3月10日曇  リリーフ設計士
名雕へ。辞職した設計士を引き継いだリリーフの設計者に会って現況を説明。大きな問題は配管準備された給湯器のリモコン位置、それにキッチンにリモコンの配管がない。彼に項目経理(現場責任者)へ電話してもらう。
すぐに水電工に電話するとのこと。折り返し電話があり、20分後に水電工が行くとのこと。
しばらくリリーフ設計者と話をするが頼りない印象はぬぐえない。彼もリリーフと言うことかも知れないし、技術屋で営業的な仕事は苦手なのかも知れない...

現場に行くと水電工は帰ったようだ。電話番号の書き置きがああったので電話。コンセントの追加のことを彼は覚えていた。ちょっと安心。コンセント位置の変更を伝える。

千客万来のようで、カーテン屋がセールスに来たようだ。名刺が置いてあった。実際内装がすまないと雰囲気が分からない。カーテン屋はもっと後でいいけどな。
7号棟の地下2階に臨時店舗を出して商売してるようなので行ってみる。駐車場にブースを作っていた。高級品は韓国製のようだ。深圳製以外は韓国製が多い。彼女らは2割引で売るという。麻と絹の混紡で130元/mから200元といったところか。

地下鉄で帰る途中に「老街」駅で初めて降りてみる。老街とはやっぱり東門市場のことだった。保健中心があったので2時間マッサージをする。1時間HK35と高いので期待したが、あまりいい按摩師ではなかった。もまれた肩があとになっても少し痛い。なくなってしまった火車站按摩が懐かしい、どこへ行ったのだろう。いいマッサージをしてくれたのに。

13,500歩

本来の女性設計士が退職したためにリリーフで広東人の男性設計士が引き継ぐことになりましたので彼と打ち合わせ。
給湯器の配管。配管関係は内装の完成後は変更が困難と思いましたので念入りに。

給湯器のリモコン線用配管が希望しているバスタブの近くになく、衛生室の入り口に設定してあったのでこれをバスタブまで持ってくるよう依頼。項目経理には話をしてありますが動きが悪いので設計士を通じて。

あと、重要なコンセントの追加。コンセントはいくつあっても十分ということはないと思うのですが、従来の深圳の住宅を見ているととても少ないのです。そのためか、水電工はコンセントをすぐ減らしてしまいます。で、時々現場をチェックしなければなりません。

木工ができてきて生地に化粧合板を貼り付けます




ついたてがはめ込まれました


リビングの天井も徐々にできてきて



帰りに寄った近くの日本料理屋で



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